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2011/05/30

またなのー!!!?

って言われたくてちゃっかりブログを引っ越しちゃいました。

新しいURLはこちらです。

http://samachar.jugem.jp/

すいませんね、何度も何度も。

2011/05/29

矛盾探しの日曜日

三段論法について考えていた。

インドとなんも関係ないけど、考えてた。

三段論法って、
【A=B、B=C、よってA=Cである】
ってことだよね?

有名どころだと、

1)人はみな死ぬ
2)ソクラテスは人である
3)よって、ソクラテスは死ぬ

ってことですよね?ですよね?

ということは、これはどうなの?

1)りんごはみな赤い(この際青りんごの存在は置いといて。)
2)イチゴもみな赤い
3)よってりんごはイチゴである

あと、これはどうなの?

1)赤は全て黒ではない
2)白も全て黒ではない
3)よって赤は白である

違うよね?赤は白じゃないよね?
でも三段論法さんは赤は白っておっしゃってるよね?
あれ?違う?なんか違うのかな?

って思ってたら、私が書いたのって公式に当てはまってなかった。

私が書いたのは、
【A=B、C=B、よってA=Cである】
だった!あちゃー!

じゃあ最初の、
【A=B、B=C、よってA=Cである】
りんごとイチゴを当てはめたらどうなるの?


Aはりんご、Cはイチゴ、Bは赤い だとすると、
1)りんごは赤い。これは納得。
2)赤いものはイチゴである。あれ?それは違うよね?ということは・・・
3)りんごはイチゴである。これもちょっと怪しくなってきたな。

つまり2がおかしかったからか。なるほど。


じゃあ最初の、

【A=B、B=C、よってA=Cである】に
赤と白を当てはめたらどうなるの?

Aは赤、Cは白、Bは黒じゃない だとすると、
1)赤は黒じゃない。これは納得。
2)黒じゃないものは白である。あれ?それは違うよね?ということは・・・
3)赤は白である。これもちょっと怪しくなってきたな。

これも2がおかしかったわけか。ふむふむ。

でも一見【A=B、C=B、よってA=Cである】って
正しそうに見えるよね。
BとCが逆になると結果が違っちゃうんだね。
面白いよねーこういうの。


あと、多胡輝氏の【頭の体操】シリーズで一番お気に入りなのがこの問題。
※本が手元にないのでうろ覚え。

【三人の旅人がいた。夜も更けてきたので、宿に泊まることにした。
宿に着くと、女将さんに一人1000円ずつ渡し、部屋に入った。
すると女将さんが、割引してあげようとボーイに500円渡し、
旅人たちに返すように頼んだ。しかしボーイは、『3人に500円は半端だから』と、
200円をポケットに入れ、旅人に100円ずつ返した。

ここで整理すると、3人の旅人は合計3000円払い、
100円ずつ合計300円返ってきたのだから旅人たちが払った合計は
3000-300=2700円。
ここにボーイが取った200円を足すと2900円。
では、残りの100円はどこにいったのだろうか。】


これも一つ矛盾している箇所があるためにおかしなことになっちゃってるんだよね。

あと、国語の授業でやったけど、『矛盾』の語源もなかなか面白い。


矛盾の『矛』はなんでも打ち破れる無敵の矛で、
矛盾の『盾』はどんな攻撃も跳ね返す無敵の盾のことだったと思う。
で、その二つが戦うとこの話にムジュンが生まれるよねってことで
『矛盾』っていう単語になったんだよね。面白いよねー。


ってことを考えてたら日曜日が終わった。

2011/05/24

感謝を伝える方法

派遣でデータ入力をやってます。
葉書に書かれた名前やら住所やら電話番号やらを
ただひたすら無言で一心不乱に打っていくのです。

最初は心の中で
「な が の け ん 、 ま つ も と し 、」と、
打つ単語を考えながら打っていたのだけれど、
レベルが上がったせいか何も考えずに打つことができるようになり、
最近では別のことを考えながら打てるようになった。

最近その会社に新入社員が入った。
研修で我が部署にもやってきた 女子ふたり。
おそらく二十歳そこそこで、いいなー若くて、と思っていたんだけれど、
さすがに研修中でミニスカートには鼻の下が伸びた・・・じゃなくて
ビックリした。一応ビジネスカジュアルを義務付けられているので。

で、その新入社員の若者たちは熟練社員さんに良く思われていないようで、
最近色々な愚痴を盗み聞き・・・じゃなくて不可抗力で聞こえるようになってきた。

最初は服装のことや髪の色のことを言われていて、
次に態度のことを言われていた。
質問があって話しかけるときに「失礼します」や、
「お忙しいところすみません」の一言がない、とか、
色々教えてもらっても「ありがとうございました」がない、とかいう話だった。

私は派遣なので目立たず静かに黙々と打ち込んでいたんだけど、
その熟練社員さんの話がどうも頭に残ってしまって、
そして妄想が始まってしまって、今日は頭の中が忙しかった。

そもそも【ありがとう】とは感謝を伝えるためにあるのである。
とすると、熟練社員さんたちは「感謝しろよ」と思っているわけだ。
うんうん、私も感謝すべきだと思う。
でも、本当に感謝を伝えるのに【ありがとう】と言えば万人に
伝わるのだろうか。

頭の中に浮かんできたのは、インドのとあるレストランで
友人と食事をしていたときのこと。
隣の席に欧米人カップルが座ってきた。

私たちのテーブルの上にしか塩が置いてなかった。
その店は塩が各テーブルにあるのではなく、
カウンターに取りに行かなければならないのだ。

出てきた食事を食べ始めて、「塩でもかけてやるか」と
塩に手を伸ばしたその刹那。
隣の欧米人がスッとその塩を自分のテーブルに
持って行ってしまった。

私の手は今まさに塩を取ろうとしている形になっている。
準備万端。すべてにおいて抜かりのない、完璧なフォーム。
できることなら型を取って国立博物館に「塩を取る手」というタイトルで
置いておきたかった、そんな手だ。

引っ込みがいろんな意味でつかないし、
そもそもお前らの料理まだ来てねぇだろと思って
キッ!っと睨んでやった。

と言えばかっこいいかもしれないけど、
おそらく情けない顔をしていたんだと思う。
心では睨んでいるつもりなんだけど、あまりにも突然の塩の誘拐事件に
切ないやら腹立たしいやら驚愕やら混乱やらで混沌としていたと思われる。

一言で言うと、泣き笑い顔ってことだ。怒りは心の中にしかない。

すると欧米人は絶妙な顔で塩を見つめる私を見て、
こう思ったに違いない。
ちなみに手はまだ例のフォームをとり続けている。

《おっ、このイエローモンキーは今まさに塩を使おうとしていたんだな。
でも僕が取ってしまったために塩を使えなくて困っている。
でも、でもだ。言わせてもらうなら、僕だって塩がほしい。
ジャパニーズが独占する権利はない、そうだろう?
違うかい?裁判するか?ん?》

この状況。

大半の日本人なら「あっ、すみません」と言って速やかに塩を返すはずだ。
そもそも断りもなしに隣のテーブルから塩を誘拐しようなんてしない。

この後にするべき行為に【謝って塩を速やかに開放する】以外は認めない。

さぁ、謝れ。そして塩をあるべきところに返すのだ。
さすれば道は開かれん。

ちなみに手はまだ例のフォームをとり続けている。

欧米人はそんな私を見つめて、そしてようやく一言いった。










「Thanks!」

えっ

今の何?この人ありがとうって言ったの?何で?

つまり彼の心の中はこういうことだ。

《塩返したくねーなー。でも関係は丸く治めつつイニシアチブは
取りたいしなー。え?俺?謝る必要なくない?
だって塩に名前書いてある?全部?どこ?一粒一粒に?
ないじゃーん。ないなら謝る必要ないジャーン。
まぁここらでこの塩は我々の手中にあるのであって、
もうYOUのモノではないってことを表明しておくか。》

これには参った。投了した。もう打てる手が何一つない。

彼は笑顔だ。怒っていない。故にこっちもなんだか怒れない。
そして彼は感謝している。私にだ。
塩をくれたことに対しての感謝だ。
感謝している相手に対して返してくれとは言いにくい。
私はあげていない。しかし彼は感謝している。
つまり相手の勘違いだ。塩をくれたもんだと勘違いしている。
でもどうだろう。大の大人が、たかが塩一つで
「YOU、それはミステイクよ!」と言っていいものだろうか。
なんだか心がオチョコの裏ぐらい狭い人みたいじゃないか。
しかもこれはただの勘違いではない。
彼は確信犯なのだ。しかし、鉄壁の笑顔で勘違いだと言うことを
貫き通そうとしている。

このとき私は、Thanks!に、とてつもない強制力を見た。

結局私は塩を諦めた。
私の心の中の小さな何かが壊れた音が聞こえた。

そんな悔しさを思い出した。


つまり、この【ありがとう】は感謝は表面だけで
中は策略に満ちている【ありがとう】なのだ。
私がこのことに気付かなければそれはただの感謝の言葉だった。
でもこの場面での【ありがとう】の用法に気付いてしまった。
私にとってこの【ありがとう】の用法は、《感謝》ではなく
《強制(的に引き下がれ)》なのだ。

ということもあるので、新入社員さんは実は別アプローチで
感謝を伝えているんじゃないだろうか。

例えば「分かった?」と聞かれて「はぁ。」と答えるこの【はぁ】の
用法が、一般的な《気のない返事》という用法ではなく、
《ありがとう以上に感謝を伝える感謝の言葉》という
用法なのかもしれない。

ただその用法の真意に我々が気付いていないだけなのだ。
我々が気付いてあげなければならないのだ。
彼女たちが我々が気付かないせいで
不名誉な愚痴を言われる立場であってはならない。
彼女たちは本当はいい人たちなのだ。

でも、人間って、分かり合うのって、難しいよね。

そんなことを考えていたら8時間経ってて、今日の仕事が終わった。

2011/05/23

【もしバタ】もし私がサザエさんの放送を見てバタフライエフェクトについて考えたとしたら

本屋に行くと私の行動範囲は2パターンに分かれる、と思う。

1時間くらいしか時間がないときは小説のコーナーをくるりと回って、
好きな作家さんの本とか新しい作家さんの本とか見て回る。
お金がないので指をくわえて見ているだけの場合が多いんだけども。

もう一つは、数時間時間があって「今日はどれだけ本屋にいてもいいのよ」って日。
そんな日は小説コーナーには行かない。
全然関心がなかったり知識がない分野のコーナーに行って、
手当たり次第ペラペラめくりまくるのだ。
電子工学の次は刀鍛冶の本、その次は脳科学でその次は参考書コーナー。
これが結構楽しかったり、新たな発見がある。

専門分野の専門書でも、ペラペラめくってみて私には全然意味分からなくても、
大枚はたいて買う人がいるのだ!人って面白い!とおもうし、
意味不明な単語を読んでそれを使いこなす自分を想像してみたりするのも楽しい。
もちろん入門書を見て純粋にほほーっとなることもあるんだけども。

で、今日は世界史の年表を眺めてみた。
知らないことのほうが多かったけど、年表って面白いよなぁってつくづく思った。
世界の膨大な出来事を時系列に並べてるってすごいよね。
だって、出来事ってその渦中にいるときには認識されないことが多いのに、
数年後に当時のことを振り返ったら当時の時間の流れがあって、
政治とか経済の動きに何らかの変化があったりした期間や出来事に対して
名前をつけるわけでしょう?
例えば「米騒動」だと、当時は「今日から米騒動の日です!」って言っていたわけではなくて、
世の中の成り行きで米が不足するという事態になったわけで、
予定されていたことじゃないんだから最初は名前がなかったのに
後に(あるいはこの騒動のさなかに)ネーミングすることによって人々に
「あれは【米騒動】っていうことだったんだ」という認識を与えるんだと思うんだけどどうだろう。

で、そんなのが一堂に会してる年表ってネーミングの羅列だなぁとか思うと
これ誰がつけたんだろうとか考え始めてもう楽しくなっちゃって
「もし一粒のイチゴが原因で反乱が起きたら【イチゴの乱】とか
テストに出るのかしら」とか考えてひとりワクワクが止まらなくて
ドキがムネムネになるんだけどどう?気持ち悪いよね。

まぁいいや、で、これはどこかで聞いただか読んだだかだと思うんだけど、
ネーミングをすることによって存在が生まれるんだと改めて思ったんです。
例えば【ニート】って言葉がないときにもニートはいたわけで、
でもネーミングがないから【ニート】という存在は社会に存在していなかったのに、
【これこれこういう人をこう呼びましょう】ってなった瞬間から
今までなかったものが存在し始めるのよって思うとすごいよね。

【マザコン】も【マザコン】という言葉がないときには存在していなかったし、
【草食系男子】も【ギャル】も【オネェ系】も【オタク】も存在していなかった。
でも、ネーミングされると初めてその人たちが見えてくるわけで、
それって透明人間が名前を貰うと見えるようになるみたいな、
そんな感覚に陥ってしまった。

ということは、今はまだ見えないだけで自分を含め色々な存在が
まだまだ隠れているって事で、ということは世の中の容量は
どんどん増え続けていっているしこれからも増え続けるのかぁと思ったら
宇宙の誕生はビッグバンだったってのを思い出して
ひとりおぉ~とかなっちゃってもう大変だった。

そして今のこの現状を未来から見たらまた何かネーミングされんのかなぁと思うと
わくわくするけど想像ができない。

バタフライエフェクト(映画じゃなくて)っていう言葉を調べてみたら、
すごく小さな出来事が将来大きな出来事に繋がること、という意味だった。
なんでバタフライかっていうと、チョウチョがここで一回多く羽ばたくことによって
その風で綿毛がそよいだり、その結果徐々に大きな風になっていって、
最終的には大きな竜巻になる、とかそういうことらしい。

つまり、私がここでクシャミをしたら強い風になって結果的に桶屋が大もうけしたとしたら、
「桶屋革命」とかいうネーミングで日本史の教科書に載って、
私の写真が教科書に載って年表の一部になる可能性もあるわけでしょう。

それ考えたらやっべ風呂入ろうって思ったんだ。

なんで日曜日の夜にこんなこと考えてるんだろうと思ったら、
今日のサザエさんでナカジマが哲学に傾倒するって話をやってたからだと気付いてしまった。

ここにも小さなバタフライエフェクトが存在したということか。
今日はナカジマ革命だな。

2011/05/22

人が仲良くなるっていいよね。

今日本屋に行った。

レジの隣にサービスカウンターがあって、
そこで包装してもらったり本の検索をしてもらったり
図書カードを買ったりできるのだ。

ちょっと検索してもらっちゃおうかなーと思って
カウンターに行くと、タッチの差で別の女性に
先を越されてしまった。
まぁ急いでいなかったし、のんびり待っていたわけなんだけど、
この女性と店員さんの会話が面白かったんだよ。
ちなみに女性、店員さん共に40歳くらいです。

謎の女性「すみません、本の検索をお願いします」

店員さん「ハイ、どういった本をお求めですか?」

謎の女性「お母さんと赤ちゃんの本なんですけど…」

店員さん「えーと、育児関係の本でよろしいですか?」

謎の女性「いやっ、育児ー…育児…は育児なんですけど…、うーん・・・」

店員さん「エッセイや小説でしょうか?」

謎の女性「うーん、そうかもしれないけどちょっと違うかも・・・」

店員さん「赤ちゃんの名前の本とか・・・」

謎の女性「あ、そういうんじゃなくて、もっとこう、お母さんに重点を置いた感じの・・・」

店員さん「子育て奮闘記みたいなものでしょうか・・・?」

謎の女性「あ、そうですそうです!で、働く女性な感じで、でも輝いてる感じで!」

店員さん「ハイ、少々お待ちくださーい」

え?!今の説明で検索できんの?!
ちょっと後ろでわくわくして展開を見守る。

店員さん「申し訳ございませんお客様、
【奮闘、働き、輝き】で検索したんですがヒットしないみたいです・・・」

 
謎の女性「あぁーそうですかー・・・」


まてー!そりゃーヒットしねーだろーーー!




それ本の検索機でしょ?!Googleじゃないでしょ?!
Googleでもそれじゃ多分お目当てのものはヒットしないと思いますしね!

で、 【子 育 て】 っ て 入 れ な い と だ め で し ょ う よ !


何系の奮闘モノを探してるのかそれじゃ分からんでしょうが!
もしかしたらダイエットに奮闘してるのかもしれないし、
仕事に奮闘してるのかもしれないし、合コンかもしれないし
ネイルケアとかアロマとかチュニックとかサロペットとか夏色メイクとか
色々あるでしょうよ!
で、女性も突っ込めって!そこは「?」って顔して言いましょうよ!ね!


あー言いたい言いたい!お節介したい!
「子育てのくだりはどうしましたか」ってごく真面目な顔で言いたーい!


でも地団太踏み踏み、監視を続行した。



謎の女性「あ、じゃあ、【赤ん坊、勤務、元気】とかってどうですか?」

店員さん「ハイ、【赤ん坊、勤務、元気】ですね、少々お待ちください。」

この人たちマジでやってんのかな?
ってすごい不安になった。

この本屋は結構頻繁に来ているので、
カウンターの女性が新人だということはなんとなく予想がついていたし、
よく見たら胸元に【研修中】って書いてあった。

でも、でもね。
おかしいでしょう?


【赤ん坊、勤務、元気】って『赤ん坊が元気に勤務してます』って本になると思うし、
多分新宿紀伊国屋でも見つからないと思うし、国立図書館だって無理だと思うよ。
で、【赤ん坊】って!子育て奮闘記のタイトルとして【赤子】と並ぶくらいかわいくないでしょう。
そこは【赤ちゃん】でいいと思うし、っていうか【子育て】が一番いいと思うけどね!

店員さん「ちょっとないですねー・・・」


謎の女性「そうですか・・・」

店員さん「ええ・・・お客様、子育てのエッセイのコーナーには
ご案内することができますがいかがいたしますか?」


謎の女性「うーん、なんか子育てっていうよりはね、
そのお母さん側の視点から描かれた感じのを探しているんですよね・・・・」

店員さん「あ、なるほど~、言ってみれば
【働くお母さんのライフスタイル】って事でしょうかね?」


謎の女性「あ、そうそう~!お料理の話とかもあって~みたいな!」

店員さん「お料理・・・今夜のおかずとかですよねー?」


謎の女性「そうそうー!でもお料理の本じゃないのよ、色々書いてあるんだけどー…」

店員さん「あっ、少々お待ちください!」

ここで 店員さんはどこかへすっ飛んでいった。

どんな本が来るのかなーと思いつつ、
すげぇ会話してんなこの人たちって思いつつ、
わくわくしつつ待つこと20秒。

店員さんの手には一冊の【婦人画報】が握られていた。



















婦人画報じゃないでしょう・・・と思ってドキドキしながら成り行きを見守ると、
案の定「違います。雑誌じゃなくて・・・」と言われていた。
結構けんもホロロ的な感じに言われていた。
 数秒前のあの分かり合えていたっぽい感じの雰囲気は微塵も感じられなかった。



そんなことがあったので、ちょっと囲碁の本を買ってみた。
囲碁やりたくなったんだよね、急に。