2010/12/04

冬到来

朝、寒いなぁ寒いなぁって
なかなか布団から出られなかった最近。

薄手のカンバル(ブランケット)を2枚重ねて
蚊帳の中にうずくまってうとうとしていた。

なんか外がうるさいなぁと思っていたけど、
朝は野菜売りのお兄さんや牛乳屋のおじさんが
「ジャガイモ!トマト!オクラ!」とか叫びながら通るし、
新手の商売かしら?としか最初は思っていなかった。

でも、5分経ち、10分経ち、まだ同じところで声がしているから、
なーんだろ、と思って気になっているうちに尿意を催した。

トイレに立つとき、何とはなしに声の在り処を探すと、
人通りの少ない住宅街(これまた少々お金持ちエリア)の道端に
シャツとルンギー(腰布)、裸足のおじさんが一人立っていて、
何か必死に叫んでいた。
静かな通りなので人はほとんどいないけれど、
住宅街だけあって家の中には出勤前で家族みんなが揃っている
そんな時間だった。

用を足して、寒い寒い、布団布団と戻ろうとしたけど、
なんか気になって耳を澄ませてみた。

最初は「ベーター(男の子供)」とか「モーター(太い、厚い)」とかしか
聞こえなかったけど、聞いているうちに(同じことを繰り返しているから)
なんとなく分かってきた。

多分、「僕は貧乏だから子供たちのためにも厚手の毛布をください」
と言っていたと思う。

意味が分かった以上、悩んだ。
確かに最近はすごく寒いし、常夏インドに住んでる人たちにとっては
日本人にとって氷点下かってほど寒く感じるんだと思う。
冬大好きな私でさえ、最近の寒さは寒い。
鼻冷たいし手足冷えるし唇乾燥するし、冬だなぁと思う。

早朝は霧が出て、昼間とは比べ物にならないくらい寒い。
その中に薄着で裸足のおじさんがブランケットを欲してるのは
至極切ない気がした。

で、「じゃあブランケットあげるの?」と言われると
またそれはちょっと迷った。
私もブランケットが余っているわけではないし、
むしろ買い足そうと思っていたくらいだし。
値段もこっちに住んでいる以上、痛い出費なのには変わりない。

それから何かの本で読んだけれど、
「喜捨」に対してインドの人々は、「当然」と思う節があるそうだ。
うろ覚えだけど、「喜捨」するのは喜捨する人の自由。
自由というか、ある意味自己満足。
喜捨をすることで罪が軽くなると考えている。というのが
簡単で乱暴だけど喜捨する人の気持ちだそうだ。(多分)

で、喜捨するからには貰う人がいなければ意味がないわけで、
要するにボランティアをするという背景には
困っている人・事がないといけないわけだ。
だから、喜捨する人がいれば貰う人がいて当たり前。
当たり前だというか、自然。

自然なことに対して大きな感謝を表現することはない、
喜捨する側も何も期待していない、と
簡単に言えばそんなようなことが書いてあった気がする。

それを読んで、新しい考えに触れたような、
それが私にもできるだろうか、と考えさせられるような気持ちになった。

でも、例えばもしここで私がブランケットをあげたとして、
御礼もなく当たり前のように去って行ってしまったらどう思うだろうと考えた。

そうだとしたら間違いなく私は嫌な気分になって、
「あげなきゃ良かった!返せ!寒い!」と思うと思う。
心から空しくなると思うし、その人のことを軽く憎むと思う。

そんなことを考えてから、
「あー私の親切ってのは感謝という見返りを期待しているんだなぁ」と思って
なんか恥ずかしいような切ないような気持ちになった。

しかし実際問題は別で、良心というものが頭をもたげてくるし、
「また新しいの買ったらいいじゃん。」と思って彼にブランケットを
あげなければ!とも思ったりした。

長々と書いたが、結局どうしたかと言うと、
あげなかった。

あげなかったというか、あれこれ悩んでいるうちに
彼はどこかに行ってしまった。
何の決心もつかないであたふたしているうちに
このエリアに見切りをつけたんだと思う。

わたしはどうすれば良かったのかまだ分からないけど、
考えなければいけないような気がする。

そんなことを考えていたら夜になった。
ご飯作らなきゃ・・・と思ったら米もないし野菜もないし
見事に何もないでーす!キラッ!って感じだった。

玉ねぎ(極小)が一つ転がっていたから、
茹でてみた。

かじってみた。

甘かった。

こんな思いになるなら食べなきゃ良かったと思った。

非常に切ない気持ちで一日を終えた。

瞼の奥に浮かんだ光景は母でもなく父でもなく
餃子の王将だった。

2 件のコメント:

  1. たぶんキリスト教関連の本?で読んだ覚えがあるけど
    相手に対して「いつも何々してやってるのに」とか
    「このまえ親切にしたのに、してくれない」とか思うってことは見返りを期待してるからなんだって。
    その行為をした時は、同じことを返してくれるってことをどこかで期待しちゃうんだろうね。本当に善意でしたなら、そんなことは思わないはず。
    そうわかっていても、なかなかそう成れない自分がいます。

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  2. まきとさん>
    そうですね!見返り期待するのは
    心では醜いことだと分かっているんだけど、
    どうしても期待してしまうというか、
    気づいたら「これは見返りを欲しているから腹が立ってるんじゃないか・・・」と
    感じることがあります。
    人間として未熟なのかもしれないけど、
    見返りを求めないような大きな心を持つには
    まだまだ修行が足りません・・・。

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